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このままであってほしい稲城の里山…1. 2. 3. 4

しいたけ栽培所の中にある謎の土塁

京王相模原線稲城駅の南側丘陵部を、地元では通称「南山」と呼ばれていて、そこは、東京都心からもっとも近い里山として知られています。近年、その里山が土地区画整備による開発でなくなってしまうという情報を得て作者は「稲城の古道探索」というホームページを作成しました。上の写真はそのときの現地探索(取材)で見つけた古そうな土塁です。

土塁の奥(斜面の上部)には、ちょっとした空間がある

土塁のある場所は、稲城駅の南東約400メートルの地点で、ここは武蔵野線の貨物線がトンネルに入る付近、線路の直ぐ上の道が、緑地帯の丘陵部へ上りかけた辺りになります。 このところに、しいたけの栽培所があり、丘陵部へ上る簡易舗装の道から、そのしいたけ栽培所を見ると、奥の山斜面際に、しいたけ栽培所の谷と並行するような感じで土塁は見られます。この土塁は明らかに人工的なもので、何かの目的を持って築かれたものと思われます。

上の写真は、土塁とその東側山斜面との中間部を撮影したもので、丘陵斜面を上って行く土塁が、山斜面に吸収されて無くなる少し手前の付近です。この写真の辺りは、ちょっとした空間(平場)になっています。

土塁下部の東側にある堀割地形(上から下を見る)
上の写真は、土塁の東側に見られる堀割状の地形です。写真では草が繁り、堀状の形はわかりづらいのですが、古道跡の堀割状遺構にたいへん良く似ているところです。堀割の長さは目検討で30メートル位でしょうか。幅は、こちらも目検討で、上部が7メートル、底部で1.5メートル、深さは約3メートルといったところです。この堀割状の地形は道跡の可能性も考えられますが、土塁がこの上で山斜面に吸収され無くなることと、その付近に狭いなららも空間(平場)が確認できることから、或いはその空間にお堂か祠のような施設が有って、そこへ上るための道跡であったとも想像されます。

土塁下部の東側にある堀割地形(下から上を見る)

たまたま、しいたけ栽培所を営んでいるという人にお話を伺うことができました。その人の話では、土塁と堀割地形が以前から有って、その人の親からも土塁のことは聞いたことはないそうです。いつ頃、何のために築かれたものなのか全くわからないと言っていました。また、この土塁が何んであるのか、わかる人がいるならば逆に教えてもらいたいとも言っていました。どうやらこの土塁は近現代に築かれたものの可能性は薄ということです。それならば江戸時代かそれ以前に築かれたと思われますが、中世まで遡れるものなのかは発掘でもしてみないことには検討材料がなさそうです。

土塁は北側平坦部で終わっている

上の写真は、丘陵斜面の下部で土塁が無くなるところを撮影したものです。突然スッパリと土塁は無くなっていることから、人為的にこの場所で削られてしまったとも考えられ、以前はもっと北の大きな谷底まで続いていた可能性もありそうです。現在の京王稲城駅があるところは、かっては山(尾根)になっていて、その山には「長沼城」という中世山城があったといいます。この土塁が、そんな古い中世山城の遺構の残存物なのかはわかりませんが、あれこれ想像すると歴史ロマンが広がり面白いものです。

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