多摩丘陵の古道と硬化面……1 町田市野津田の丘の古道跡
多摩丘陵の古道と硬化面……2 野津田の華厳院坂堀割状遺構…1. 2. 3
多摩丘陵町田市小山田の代官坂 晩秋の七国山・落葉の絨毯
多摩丘陵・町田市小山田の古道地図

東京都町田市の下小山田の大泉寺は小山田氏の館があったところといわれています。その大泉寺の北西の下小山田と上小山田の境界付近の丘陵尾根上を通る道があります。その道は現在もこの写真のような深い切通状の昔のままの姿の古道なのであります。この道を地元では「代官坂」と呼んでいました。

代官坂の名前の由来として江戸時代に八王子代官頭となった大久保長安との関連がある道ではないかと研究者はみているようです。代官坂の南側から尾根に上りはじめる付近はこの写真のような曲りくねって上る切通の道になっています。

この道の曲りくねりにより農業車が通過できなかったため現在でも奇跡的に残された古道であったようです。しかしこの道を車で強引に通ることもあるようで車の轍が見られます。この代官坂は江戸時代よりも古くから存在した鎌倉道がその全身であったと考えられています。この道沿いの墓地には文明3年(1471)銘の板碑も見られます。

八王子方面から鎌倉へ向かう場合に八王子市北野や日野市平山辺りから由木を経て多摩の横山を越えるのが自然で近道でもあります。由木から小山田の途中にこの代官坂があるわけです。現在の代官坂の姿は中世の道を江戸時代に造りかえていると専門家はみているようです。

古道の上り口の深く曲りくねった切通は後の改造なのかは素人のホームページ作者にはわかりませんが、約1キロメートルに及ぶ現在する古道の道脇などの地形に、鎌倉の山稜部のような平場や段差が多く見られ、道の古さが感じられるのです。この代官坂は秋の落ち葉を踏みながらの散策が最高のようです。写真はすべて5月に撮影したものです。

大久保長安は先祖が甲斐の武田氏に使えていた猿楽師であったそうで、代官坂の南側には武田家ゆかりの家が散在しているようなので長安と何か関連があるのかも知れないようです。また八王子市北野からは野猿峠を越えることになり、野猿峠の名前も長安の先祖が猿楽師であったことと関連があるのかも知れません。

この写真のような捨てられた車などを撮影したものは、できればお見せしたくないのですが、古道の現状をお伝えするためにも一枚写真を掲載させて頂きました。古道を北へと上って行くにつれて不法投棄が目立ちはじめ、やがて呆れるばかりの投棄物を次から次へと目にすることになります。もしこの道が由緒ある古道であると知っていたならば簡単には不法投棄はできないはずですが。

古道はやがて右手の谷から上ってきた道と合流してそこからは簡易舗装の道となりますが、それでもこの付近は鎌倉道の雰囲気が感じられるところです。この素晴らし昔のままの古道が、今また道路建設でなくなってしまうかも知れないというのです。

元禄銘の石仏
文明三年銘板碑
石地蔵尊

尾根道の傍らには石地蔵がありこの道が古道であったことが偲ばれます。またこの付近の道の直進性は中世古道の特徴でもあります。写真ではわかりませんが石地蔵の脇には完全な廃道となった堀割道跡が確認できます。

唐木田の奥州古道
『鎌倉街道伝説』にも写真が載っている多摩市唐木田の奥州古道六部塚の峠付近はこの写真のとおり現在では道の右側に金網フェンスが張られ工事が行われています。この工事現場から南(町田市方面)に広い車道が延びる計画があるようで、もしその車道が造られると代官坂の古道は失われることになり、周辺の景観も現在とは全く違うものに変わってしまうのではないでしょうか。首都圏郊外の里山がまた一つなくなることはとても残念なことであります。

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