多摩丘陵の古道と硬化面……1 町田市野津田の丘の古道跡
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多摩丘陵・町田市小山田の古道地図

野津田公園のサッカー場駐車場近くの鎌倉街道跡
鎌倉街道上道のルートが町田市を通過するところとしては、七国山と小野路がよく知られています。『旧鎌倉街道探索の旅』の著者である芳賀善次郎氏は、七国山から小野路へ抜ける古道のルートを2つ挙げられています。しかし、ここでご紹介する鎌倉街道跡は芳賀善次郎氏が取り上げられている2つのルートとは違います。上の写真は野津田公園サッカー場の駐車場西側の丘の裾部に見られる、土塁状の地形です。

鎌倉街道跡の窪地
土塁状の上へ登ってみるとそこには写真のような窪地が見られます。別になんということもない窪地ですが、関東各地の中世古道や古代道跡を見てきたホームページ作者の私には、これはまぎれもない古道の跡と思われるのです。そして古街道の研究者もこの窪地が鎌倉街道跡ではないかと想定されています。

鎌倉街道跡の窪地(道跡の表面から)
上の写真は道跡の窪地を表面から見ているものです。写真の右側に丘の斜面の壁が確認できます。写真の中央が窪地で、写真の左側には土塁状の高まりが見られます。この壁と窪地と土塁状の地形が短い距離ながら一定した間隔で続いています。これが典型的な古道跡の窪地なのです。

鎌倉街道跡の窪地
壁と土塁状の高まりまでの間隔はおおよそで5メートル位でしょうか。この地中には5〜6メートル幅の道路遺構が眠っているかも知れません。ではなぜこの窪地が鎌倉街道跡とわかるのかといいますと、ここから北西方面の平場で、平成3年秋から平成7年3月の期間に遺跡の発掘調査が行われていて、全長さ200メートル以上におよぶ道路遺構が確認されているからです。道路遺構の最大幅は12メートルもあり、これまでに発見されている鎌倉街道遺構としては最大規模のものです。この道路遺構は鎌倉街道上道本路と推定されていますが、残念なことにあまり知られていないようです。この道路遺構が発見された遺跡を「野津田上の原遺跡」といいます。憶えていてくれると嬉しいです。そして発掘された道路遺構の南端部が写真の窪地に接続していると想定されているのです。

サッカー場西側の散策路
上の写真はサッカー場西脇の公園内散策路です。この散策路は、先に紹介した鎌倉街道跡の窪地の南側へ続いているもので、鎌倉街道はこの散策路に沿って通っていたものと想定されています。実際に窪地のところで確認される西側の壁は、この写真の辺りまで続いているのが観察されます。写真の三つ叉の木はクヌギでしょうか、夏だとカブトムシが木の汁を吸いにやってくる木です。野津田公園内は自然観察や散策にはとてもよいところです。

野津田公園サッカー場南の通称「広場」
散策路はやがてサッカー場のある平坦地に下りて南へと進んで行きます。上の写真が平坦地を通る散策路ですが、鎌倉街道は平坦地の西側丘の裾部に沿って通っていたと想定されています。そして、このサッカー場のある平坦地は一定の幅をもって南北に丘陵部を縦断している人工的な窪地であるとも考えられています。ある古街道研究者は、この大きな丘陵越えの窪地が、古代東海道跡ではないかと想定されています。

野津田公園のサッカー場と大変に大きな人工的窪地
サッカー場があるからには、この人工的窪地の幅は50メートル位あることになり、こんなに大きな人工的な地形がここにあるとするならば、これは大変なことです。道路の遺跡としては重要度最高レベルのものではないでしょうか。ここの地形を観察してみると確かに人工的と思われる不思議な空間も見られます。例えばサッカー場の東側には何かの施設跡のような大きな別の窪地が入り込んでいたりします。そしてもうひとつ不思議なことは、上の原広場とその近隣には人家が一つもないことです。発掘現場の上の原遺跡では縄文時代から奈良時代までの住居跡が沢山検出されているようですから、人が住むには適している土地なはずです。しかし、中世以降、近世から現代に至るまで、人が住んでいた痕跡はまるで無いということです。古街道研究者はこの場所は特別な施設が存在していて、人が住んではいけない場所であったのではと推測されています。

サッカー場南の広場の南端
上の写真は野津田上の原広場の最南端部で、中央の林の中に鶴見川へ下る簡易舗装の坂があります。芳賀善次郎氏が七国山から小野路へ向かう鎌倉街道のルートとして挙げられた2つの内のひとつがこの坂を登るものです。芳賀氏は坂を登った街道のルートを現道の簡易舗装路に従ったものとし、広場へ進まずに西に折れて進み、丘をひとつ越えて西隣のくぐつ沢(公園内の陸上競技場へ向かう道があるところ)から小野路へ向ったものとしています。この写真のところから鶴見川の低地に下りる坂は東隣りに華厳院という寺院があるこことから、「華厳院坂」と呼ばれています。

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