多摩丘陵の古道と硬化面……1 町田市野津田の丘の古道跡
多摩丘陵の古道と硬化面……2 野津田の華厳院坂掘割状遺構…1. 2. 3
多摩丘陵町田市小山田の代官坂 晩秋の七国山・落葉の絨毯
多摩丘陵・町田市小山田の古道地図

野津田の華厳院坂の掘割状遺構……1. 2. 3.

野津田華厳院坂の簡易舗装路上部

野津田上の原広場から鶴見川低地へ下る坂は華厳院坂と呼ばれ、現在では簡易舗装の狭い道が通っています。平成19年からこの狭い簡易舗装路は拡幅工事計画があり、幅6メートルから10メートルの広い道路に変わることで現在ある道は取り壊される運命にあるようです。この華厳院坂ですが、写真の簡易舗装路の右側に大きな堀状の深い窪地が存在し、そこは鎌倉街道の跡であると伝えられています。

華厳院坂(北から南を見る)
華厳院坂は簡易舗装路(幅約2メートル強)と深い窪地が並行して通っています。簡易舗装路隣の窪地は鎌倉街道跡の掘割状遺構であると言われます。しかし街道遺構は簡易舗装路と窪地を含めた全幅であるとも考えられ、幅6メートル前後の鎌倉街道が想定されるのです。

華厳院坂(掘割状遺構)
昼間でも薄暗いこの坂を「幽霊坂」などという人もいるようです。東京都内には幽霊坂と呼ばれる心霊スポットが幾つかありますが、現在では坂の両脇にビルが建ち並び幽霊坂の面影を残るところは少なくなっているようです。それらの幽霊坂はこの華厳院坂のように暗く寂しいところで如何にも幽霊が出そうな坂であったのでしょう。華厳院坂は坂の呼び名から東側に華厳院という寺院があり、近くには墓地もあります。確かに幽霊坂と呼ばれても不思議ではありませんし、前述のとおりこの坂は鎌倉古街道の跡であるというのですから、霧深い夜に鎧武者の行列が通って行くのを想像したりすると鳥肌が立ちそうです。

華厳院坂(掘割状遺構)
現在も各地に残る鎌倉街道跡と呼ばれる切通しの坂や掘割状遺構は、皆このような薄暗い気味の悪いところばかりです。鎌倉街道跡イコール幽霊坂というのは的を得ているのかも知れません。ホームページ作者の私が鎌倉街道に魅せられたのは、この掘割状遺構に漂う不思議な妖気で、そこに入るとゾクゾクした感覚がありました。しかし「何も感じられない」という人もいることでしょう。それは感性や感覚といった個性や価値観の違いなのでしょうか。

華厳院坂(掘割状遺構)

こんな薄気味悪い坂を見てゾクゾク感動するとは変わった奴だと思われる人もいることでしょう。

埼玉県の鎌倉街道上道には小川町伊勢根の掘割状遺構と、毛呂山町市場と西大久保の境に掘割状遺構を見ることができます。「掘割状遺構」と言う言葉は、普段の生活ではほとんど使うことがありません。「掘割」という言葉は国語辞典に載っていて、意味は「地面を掘って造った水路」とだけ書いてあります。掘割状遺構とは道路遺構だけを言ったものではなく、むしろ城郭遺構の堀そのものに使われることが多いようです。

華厳院坂(掘割状遺構)

私自身は『埼玉県歴史の道調査報告書・鎌倉街道上道』の中で掘割状遺構という言葉を初めて目にしたと思います。それより以前に鎌倉街道のガイドブックである、芳賀善次郎氏の『旧鎌倉街道・探索の旅』には掘割状遺構という言葉は書かれていなかったように思います。

上の写真をご覧ください。皿底の曲線のような窪地地形、これが掘割状遺構なのです。古道の場合、窪地から両脇に立ち上がる壁が、ある部分から急傾斜で立っていたり、またその壁が崩れていたりする場合は、遺構としては比較的に新しいもと言われます。

華厳院坂(掘割状遺構)
「昔の都市や建造物の形や構造を知るための手がかりとなる残存物」などが「遺構」と呼ばれています。道の掘割状遺構とは地面を削り、人工的に造られた昔の土木技術の跡ということになります。現在も地表面に堀状の道跡が残るところを掘割状遺構と呼ぶようになったものと思われます。ここ華厳院坂の鎌倉街道跡はまさに堀状の窪地が残っているところなのです。

華厳院坂(掘割状遺構)
鎌倉街道の伝承が残る道跡で掘割状遺構があるということは、そこが本物の鎌倉街道の可能性が高いということです。更にその掘割状遺構を発掘調査して、道路跡と思われる硬化面などが確認されれば、鎌倉街道、或いはそれに相当する道跡ということができるのではないでしょうか。鎌倉街道に興味がある人は是非ここを訪れてみてください。

野津田の華厳院坂の掘割状遺構…… 次へ 1. 2. 3.

多摩丘陵の古道と硬化面……1 町田市野津田の丘の古道跡
多摩丘陵の古道と硬化面……2 野津田の華厳院坂掘割状遺構…1. 2. 3
多摩丘陵町田市小山田の代官坂 晩秋の七国山・落葉の絨毯
多摩丘陵・町田市小山田の古道地図

鎌倉街道上道(埼玉編)HOME