多摩丘陵の古道と硬化面……1 町田市野津田の丘の古道跡
多摩丘陵の古道と硬化面……2 野津田の華厳院坂掘割状遺構…1. 2. 3
多摩丘陵町田市小山田の代官坂 晩秋の七国山・落葉の絨毯
多摩丘陵・町田市小山田の古道地図

晩秋の七国山・落葉の絨毯……1. 2. 3.

七国山の北に残る古道伝承の道
そんな中で、この馬入れは鎌倉街道上道の本路ではないと言っているのが古街道研究者の宮田太郎氏です。宮田氏は多摩丘陵の鎌倉街道の研究で従来にない新しい説を発表されてきています。私も埼玉県内の鎌倉街道探索で得た経験から宮田氏の考えに共感できるものがありました。何故宮田氏の考えを受け入れたのか、一つは古道探索を続けて得た感というものです。
最近、七国山の北麓では宅地造成が行われ、この馬入れも畑地から住宅地に変わっています。馬入れの細道も住宅地へ入る舗装路になってしまいました。馬入の先の鶴見川渡河地点が宅地造成以前はどのような川岸であったのかはわかりませんが、そこは山崎町と野津田町の境界でかって矢の橋という橋が架かっていたと資料にあります。

七国山の北に残る古道伝承の道
芳賀善次郎氏は『旧鎌倉街道探索の旅・上道編』でつぎのように記述されています。「昔は谷間を川岸まで降り、水面近くに架けられた矢の橋を渡ったが、それも恐らくは人の通行だけで、馬は徒渉したものと思われる。七国山からこの矢の橋経由の道は、直線的だから通ると速かったのかもしれないが、降雨や霜時には難所の一つだったかもしれない。」とあり、一方で丸山橋経由の道も鎌倉街道であるといい、その丸山橋では、「ここは道が川の水面まで下っていて、無理なく川を渡れるのである。」と書かれています。芳賀氏は馬入れ経由の道は難所であるのに対して、丸山橋経由の道は川を渡り易かったことをご自身も感じておられたようなのです。

七国山の山頂近くの古道伝承の道
各地の鎌倉街道跡や道路遺構を見てきていると、道路痕跡の地形がどのようなものか、有る程度は予想がつくようになるものです。七国山から下りてきて丸山橋へ向かう道は、途中で町田ぼたん園から下りてくる道が合流する付近まで、道脇の山の斜面は道を意識したように人工的に削られていることがうかがえるのです。このルートはその先で野津田華厳院坂の掘割状遺構を通過して野津田上の原遺跡へ続いていると主張するのが宮田太郎氏なのです。また古代道のルートもこの道筋ではないかと語られています。それに対して馬入れのルートには旧大山道と合流する付近まで道路痕跡らしき地形は殆ど見られません。神学校前バス亭から野津田高校へ上る道は一部古道の趣が感じられるところもありますが、全体としてこの坂はかなりの急傾斜です。

七国山の山頂近くの古道伝承の道
七国山から小野路への鎌倉街道上道の本道は、七国山鎌倉井戸跡─七国山北麓の掘割状遺構─丸山橋─華厳院坂掘割状遺構─野津田上の原遺跡─小野路川の鎌倉橋─小野路北方山林の尾根というのが宮田氏による推定ルートになっています。

上の写真は七国山の山頂近くを通る古道伝承がある散策路です。晩秋のこの季節は紅葉や落葉の道が印象的な景観をつくり、鎌倉街道への想いを湧きたたせてくれています。

七国山の鎌倉井戸(北から南を見る)
上の写真はよく知られている七国山山頂付近の鎌倉井戸跡です。新田義貞が鎌倉攻めの時にこの井戸で軍馬に水を与えたという伝説の井戸です。井戸の深さは約4メートルあるそうですが、現在では0.5メートルほどの窪みで井戸水は認められません。七国山の北麓から上ってきた古道伝承の散策路は写真の手前で薬師池公園方面からの簡易舗装路と合流してこの井戸の前を通っています。簡易舗装路は井戸の前を過ぎてから写真の左手方面へ曲がって進み、今井谷戸へと山を下りて行きますが、その道は本来の鎌倉街道ではなく本来の鎌倉街道は写真の井戸前から真っ直ぐ進む未舗装の道であると宮田氏は語られています。

七国山の鎌倉井戸(南から北を見る)
鎌倉井戸の前を通る簡易舗装路は車が一台しか通れない狭い道です。上の写真を見ていただくと、ここの切通は写真右側の壁が途中から急傾斜になって切れ落ちていて、その切通壁に木の根がへばり付いています。それはこの簡易舗装路を造る時に掘り込まれてできた壁ではないかと思われるのです。そのように想像してみると簡易舗装路が造られる以前にこの道は現在よりも広かったのかも知れませんし、今ある七国山鎌倉街道碑の高さ位までが地面であったとも予想されるのです。

七国山の鎌倉井戸から南へ向かう古道跡

鎌倉街道探索をしながら、道の回りの地形をこのように観察している人はあまりいないとは思いますが、そのような観察をしながら歩いていると古道探索が面白しろくなるのではないでしょうか。

上の写真は鎌倉井戸から直進で進んでいる鎌倉街道跡の道です。その先の鎌倉街道上道はダリア園西側の尾根上を南に進み、山崎団地の東縁を通り、本町田付近で成瀬ルートと原町田ルートに分岐していたと伝えています。

晩秋の七国山・落葉の絨毯…… 1. 2. 3.

多摩丘陵の古道と硬化面……1 町田市野津田の丘の古道跡
多摩丘陵の古道と硬化面……2 野津田の華厳院坂掘割状遺構…1. 2. 3
多摩丘陵町田市小山田の代官坂 晩秋の七国山・落葉の絨毯
多摩丘陵・町田市小山田の古道地図

鎌倉街道上道(埼玉編)HOME