多摩丘陵の古道と硬化面……1 町田市野津田の丘の古道跡
多摩丘陵の古道と硬化面……2 野津田の華厳院坂掘割状遺構…1. 2. 3
多摩丘陵町田市小山田の代官坂 晩秋の七国山・落葉の絨毯
多摩丘陵・町田市小山田の古道地図

晩秋の七国山・落葉の絨毯……1. 2. 3.

七国山の北麓に残るV字形の掘割道
道路遺構の道幅は、平坦地では両側側溝がある場合は両側溝間の心々距離をいい、側溝がない場合は硬化面の幅ないしは作道にともなう人工的な路面敷きの層の幅をいいます。掘割道の場合は、壁面の傾斜角が上端に上がるに従い、垂直に近い値から反転して緩やかになるその転換点の両端の幅になるそうです。掘割道の場合はわかりずらいですが、掘割壁の上端付近と考えればわかりやすいと思います。ですから写真の七国山の北麓の掘割道は私が上端付近を計測したところ約7メートルありその幅がここの道幅になると思います。

七国山の北に残る典型的な古道跡の窪地
はじめ私は道なのだから、通行の為の路面幅じゃないのかと思いました。ただ、勘違いしてはいけないのは、掘割状の道の場合、ここの散策路のように掘割底の平坦面が、かっての古道の通行路面と同じではないということです。何百年間も使用され続けた道ですから、作道当時の通行路面は削られ、更に傾斜地なので雨水による流出があったと考えられます。このようなV字形の掘割道は、V字形に掘込まれた部分の中間部付近に作道当時の通行面があったと考えられるのです。ここの古道跡が幹線道路として使われていた当時は5メートル前後の道幅であったと推定されます。

道も、道脇も枯葉で覆いつくされていた
野津田上の原遺跡ではV字形に掘られたところの中間部位に硬化層があったと聞いています。ホームページ作者は、掘割道が断続的に続く箱根西坂の平安・鎌倉古道を何度か歩いています。そこで掘割壁の高さが全体を通して一定でないのに気がつき、何故一定でないのかその理由を考えていました。坂の傾斜が急な場所では掘割壁が深くなっていて路面幅は狭くなっていました。一方で傾斜が揺るやかな場所では掘割壁の高さは低く、路面幅は広くなっていることに気がついたのです。その理由として考えられることは、坂の傾斜があるところでは路面が削られ、その削られた路面の土は斜面を流れ、傾斜の緩やかな場所で堆積しているのではないかと考えました。そして削られた土が堆積している場所では現在の地中にかっての路面が埋もれているのではないかと想定してみたのです。実際に斜面が急で路面底が削られたと思われる部分の壁には硬化層のような地層や、波板状凹凸の断面のようなものが沢山確認できるのでした。

古道の雰囲気が良好な散策路
静かです。今日は風もないので音といったら自分が落葉を踏むサクサクといった響きだけが伝わってきます。ここでは自分が自然と一体になれるひと時を過ごせました。このような自然との対話を楽しむ時間を現代人は忘れてしまったのでしょうか。絶好の古道散策の季節でしかも休日だというのに、この散策路を歩いている人はほんの数人しかいないのです。古道歩きというのは、今の人達にはあまり人気がないものなのでしょうか。

やや、急な登りの七国山山頂への道
このような里山の散策路に、人の列がぞろぞろと歩いているのを想像するのも可笑しいし、人が少ないから自分は古道歩きに惹かれたところもあります。ときより散策されておられる方々は、私よりも年配の人ばかりです。他の古道散策でも私よりも若い人と出会うことは少ないです。最近、中学校や高校では歴史や地理の授業を教えていないところもあるそうで、若者の古道歩き離れは必然なのでしょうか。

古道の二股(山頂側から北麓方面を見る)
さて、古道散策路は上の写真のところで別の道と合流しています。上の写真は山頂側から山麓側を撮影したもので少しわかりずらいですが二股になっています。。写真を直進するのが別の道で、写真の右下に進む道が本来の古道跡です。そして合流したこの別の道も鎌倉街道であると伝えられています。「鎌倉街道上道・多摩丘陵編」では、この別の道を進み途中から山の斜面を左手に向かい、更に丸山橋からきた道を跨いで畑の中の細道を進むのが本道のように説明させていただきました。その頃に集めた鎌倉街道上道の資料にはこのルートを本道とするものが殆どだったのです。また、付近の畑仕事をしている人に鎌倉街道を尋ねると皆そのルートが鎌倉街道であると教えてくれました。

二股から分かれた西側の細い掘割道
上の写真は途中から合流した別の道を撮影したものです。ご覧のように感じの良い掘割道になっていますが、本路と考えられる右下の道よりも道幅がだいぶ狭くなっています。この道は本路に対しての側道のような道です。先にふれた箱根西坂の平安・鎌倉古道にも本路の両脇にこのような感じの道が沢山見られます。この道を北へ下って、途中から山の斜面を進み、畑の中の細道を通るところは「馬入れ」と呼ばれていて、その馬入れを通るルートが鎌倉街道上道であるとガイドブックや『町田市史』などに書かれていました。

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