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鎌倉街道として関東地方には、上道、中道、下道が中世の主要幹線路として伝えられてきています。埼玉県内にはその他に、秩父道、羽根倉道、山ノ道などが通っていたことも知られています。また、それら以外にも鎌倉街道と称する沢山の支道や間道もありました。関東各地の鎌倉街道を尋ね歩いているホームページ作者は、これまで語られてきた上道、中道、下道だけでは中世古道である鎌倉街道を説明するには不十分ではないかと思うようになりました。さらに、これら三っの幹線路も再検討が必要なのではないかという思いも湧いてくるのです。研究者ではない素人のホームページ作者ではありますが、従来説の鎌倉街道の道筋とは少し違った視点から鎌倉街道羽根倉道について語って行きたいと思います。あくまでもホームページ作者の仮説であって発想の転換の面白さを語ったものであり、新設ではありませんので、あしからず。 上の写真は現在のさいたま市北区(旧大宮市)奈良町に残る鎌倉街道跡と伝わる緑地内の道です。ルート的には上道と中道を連絡する「羽根倉道」にあたるものと思われます。 |
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さいたま市大宮区櫛引観音堂の板碑群 板碑についての説明はこちらのページで 板碑 |
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旧大宮市付近の鎌倉街道は加村往還とも呼ばれている |
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緑地の中を直線で300メートルほど鎌倉街道が残っている |
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上の写真は舗装路が右手に逸れ、直進する鎌倉街道は土の道の上に積もった枯葉に覆われていました。撮影したのは平成21年12月の初めです。ホームページ作者がこの鎌倉街道跡を知ったのも、またホームページ閲覧者からのメールでした。メールをくださった方は大宮北高校南側の鴨川に沿った緑地に鎌倉街道があり、その道をよく利用していると言っていました。ホームページ作者の自宅のある川越市のお隣で、さいたま市(旧大宮市)にも鎌倉街道の跡が残っているらしい。おそらく羽根倉道にあたるところなのだろうと思い、一度見ておこうと自宅から自転車で尋ねてみました。自転車で荒川を渡り自宅から1時間半ほどでこの写真の現場に着きました。 |
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上の写真は未舗装部の鎌倉街道跡に入ったところから北側を撮影したものです。直線的で凹地状になった道の姿は典型的な古道の景観です。 ここへ初めて訪れたのは10月なかばで、その頃は緑地の木々はまだ青々としていました。自宅からそう遠くないところに、こんなに素晴らしい鎌倉街道跡が存在していたことには大変ビックリしました。鎌倉街道のホームページを作成し始めてからそろそろ10年、その作者がここの鎌倉街道を知らなかったのは情報不足で怠慢ともいわれても仕方がありません。関東の一都六県全ての古道探索をしているにも拘わらず、意外と近場の古道探索は見落としがちになるものです。近いからいつでも行ける。そういう考えは如何なものかと少々反省してしまいました。 |
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上の写真は落ち葉が積もった鎌倉街道に入り北側から南側を撮影したものです。真っ直ぐな道の景観は心に響くものが感じられます。 富士見市の羽根倉道とこの緑地の鎌倉街道は同一路線の鎌倉街道なのか |
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市街地に近いにも拘わらず整備保存されている鎌倉街道 |
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上の写真は10月に訪れたときの写真です。12月の落ち葉で埋め尽くされた道の雰囲気とは大夫趣が違います。雑木林は四季折々の景観を見せてくれて人の心を和ませてくれます。こういった自然美を現代人は大切にしたいものです。 旧大宮市内には幾筋かの鎌倉街道があった |
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また、さいたま市西区の水判土観音から北東へ向かい三橋の鳶坂へ通ずる道が鎌倉街道と呼ばれ、その道は羽根倉道へ通じていたと伝えています。さらに市域最南端の鴨川の藤橋を渡る道も鎌倉街道として羽根倉道へ通じていたようです。藤橋付近には源頼朝に仕えた平安時代末期から鎌倉時代初期の武士である足立右馬允遠元の館跡伝承地もあり鎌倉時代創建当時の物語を偲ばせています。この藤橋付近には古墳群が多くあり、古代瓦の出土する遺跡なども存在し、古代から栄えていたところと考えられます。鴨川の藤橋から南へ2〜3キロのところは、荒川の羽根倉橋の東側付近で、そこにある埼玉大学の北側には大久保領家遺跡があります。大久保領家遺跡は古代足立郡衙の推定地にもなっています。 上の写真は緑地内を通る鎌倉街道を南側から北側に向かって撮影したものです。緑地内の道幅は4メートル位でしょうか。 |