昔のままの奥州道中跡・・・その1     
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栃木県那須烏山市とさくら市の境界には将軍道と称されている古道が残っていて、ホームページ作者はそこを探索しホームページにまとめています。将軍道の付近は栃木県の東部になり、まだ市街化されていないところが多く自然豊かなことから、他の古道も良好な状態で残されている可能性が考えられたのです。さくら市は旧氏家町と旧喜連川町が合併してできた市です。このさくら市に奥州街道の原形のままの姿を残す場所があるというので行ってみました。上の写真はその街道跡が残る台地に上るところの道で、さくら市の南和田を通る旧陸羽街道から南西へ分岐したところです。今回は北から南に向けて探索しています。

 

道を北から南に向かってしばらく進むと上の写真のような切通状のところを通ります。この写真の辺りでは古道の雰囲気が大変よく感じられるところです。今回ご紹介するさくら市(旧喜連川町)の奥州街道跡と称するところは、これまでにはあまり知られていないようです。奥州街道の案内書等には全く見られず、他の奥州街道を紹介している多くのホームページでもこのルートが奥州街道であると説明されているものはほんの数例しかないようです。

 

ですから、これからご紹介する古道跡と称するところが本当に奥州街道の跡なのか確信は持てなかったのですが、ただホームページ作者が地元の図書館で郷土資料などを調べたかぎりでは、このルートが一番古い奥州街道であるらしく、さらに実際に尋ねてみると立派な堀割状の道跡と思われる細長い地形が続いていることからも、ここは古道跡と判断してホームページに載せてみることにしたのです。

上の写真は切通状のところを抜け、東西に交差する道と接する場所にでて、そこから振り向いて北側を撮影したものです。

 

上の写真は古道と東西方向の道が交差している角に見られる石塔類で、馬頭観音石塔や墓石などと思われます。ここの東西方向の道を東へ坂を下り、南北方向の車道に出たその道が旧陸羽街道で、かっての奥州街道はその道であると紹介するのが一般的なようです。実際にその車道(旧陸羽街道)の道端には庚申塔などの石塔が多く見られます。

 

上の写真は東西方向に交差した道から南に向かう古道跡の隣りを通る道です。「古道跡の隣りを通る道」などと書きますと、この写真の道は古道ではないのかと思われることでしょう。実はこの道の東隣り(写真では道の左側)の林の中に堀割状遺構が現存し、そして、その堀割状遺構が古い奥州街道であるらしいのです。

 

上の写真は交差点から南に道を少し進んで、振り向いて撮影したものです。この付近は盛り土された道になっていて、或いは湿地帯であるのかも知れません。盛り土の路面そのものは古いものではなく、最近のものと思われます。

 

上の写真は盛り土状の道を南に向かって撮影しています。道はこの少し先からは上り坂となり切通状の道と変わって行きます。その道が上りとなる付近から、道の東側に堀割状遺構が見られるのですが、普通にこの道を歩いているとその堀割状遺構に気がつくことはないようです。堀割状遺構は林の中で、しかも藪状ですからわかりずらいのです。

 

ここまで歩いてきた道は、ご覧のような上り坂の切通道となっています。この道も古道の雰囲気はある道なので、東隣りの林の中の堀割状遺構と共に古くから利用されていた可能性も考えられそうです。堀割状遺構を本路とするならば側道のように利用された道であったかも知れません。現在この道は車も通ることがあるようです。路面に車輪の跡が見られます。

 

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