横浜市金沢区能見堂跡の古道

古道 鎌倉街道

能見堂保土ヶ谷道道標
横浜市金沢区能見堂跡(能見堂緑地)の尾根上に古道跡が残されています。古道は近世の金沢道といい、一説によると金沢道の前身は鎌倉街道下道とも伝えられています。能見堂は古道が通る尾根のの景勝地にかって建てられていた「擲筆山(てきひつざん)地蔵院」という寺院をいい、能見堂は『江戸名所図絵』に繁栄当時の姿が描かれています。能見堂及び金沢八景は多くの文人が紀行文、詩、歌に残し、絵師達はここからの眺めを絵に描いています。そして能見堂境内跡には今も近世の碑が多く残されています。

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京浜急行の金沢文庫駅の北側踏切を西に向かい20メートルほど進むと上の写真の石造道標が立っています。道標正面には「右、能見堂/保土ヶ谷、道」と記されています。左面に「天保十年 願主 光明院」とあり光明院は称名寺の塔頭です。右面には「此方 江戸」とあり道標から右に向かう道が江戸まで続いていたことがわかります。

称名寺からこの道標まで来て右に折れて能見堂跡のある尾根へ登り、その先は東海道保土ヶ谷宿までが保土ヶ谷道(反対側からは金沢道)で、更にその先の江戸へ往還する道であったようです。

また道標から西へ直進する道は、谷津浅間神社脇から白山道で鎌倉まで通じていた鎌倉道、或いは朝夷奈切通しへ向かう旧街道ともいわれているようです。

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能見堂跡へ向かう「六国峠入口」の標識
道標前を右に行き今度はT字路を左に進んで行き、道沿いに三基の庚申塔を見ながら更に進むとやがて上の写真の「六国峠入口」の標識が立っているところがあります。ここから尾根に上がって行く道が金沢道(保土ヶ谷道)です。

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尾根への上り始めは急傾斜の狭い道です。路面は階段状になっています。近年この尾根に上がる道は落石を防ぐ工事が行われていて、道の両側の切通しの岩壁に金網が被され景観が以前と変わってしまいました。

何はともあれ安全が第一だとは思いますので仕方のないことなのでしょう。

ブログ作者がここを初めて訪れたのは丁度10年前でした。鎌倉切通しへよく出かけていた頃で、当時の路面は今と同じ階段状でしたが両側の切通し壁は現在よりも高く感じられ樹木も茂って薄暗い感じの切通しでした。

現在は樹木が切られ明るい感じの切通しになっていますが、やはり岩を覆う金網は違和感があるのは同仕様もありません。

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六国峠とは鎌倉天園のことで、ここから能見堂緑地ー金沢自然公園ー横浜自然観察の森ー六国峠へと至るハイキングルートのことで、このハイキングコースは能見堂緑地北側で西に向かうコースになっています。古道の金沢道は能見堂緑地北側から北へ向かっていますが現在は開発により能見堂緑地の北はその道筋は定かではありません。

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芳賀善次郎氏の『鎌倉街道探索の旅 下道編』には能見堂跡の北側付近で南から金沢道(保土ヶ谷道)へ接続する道が描かれています。釜利谷にある手子神社付近から北へ向かう古道がその道ではないかと思われます。またその道は手子神社から西に向かい鎌倉へ行く古道(白山道)でもあります。

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白山道(しらやまみち)
白山道は鎌倉街道の間道と伝えていますがこの道沿いには中世の歴史的な伝承や史跡・寺社が多く鎌倉と金沢を結ぶ重要な道であったことが窺えます。しかしこの白山道がどこから鎌倉へ入っていたのか今ひとつはっきりしません。道銘由来の白山堂付近から南へ向かい鼻欠地蔵へ出て朝夷奈切通で鎌倉へ向ったとするもの。また白山堂前をそのまま西へ進み天園経由で鎌倉へ出たとするものなどがあります。

白山道沿いには東光禅寺・白山神社・磨崖仏などがあります。東光禅寺は畠山重忠が開基で薬師三尊を本尊とする寺で、元は鎌倉の大塔宮にあったものをこちらへ移したものといわれます。

「白山道を通る間道は、六浦・金沢を通る金沢道が、遠回りのうえ一部で舟運に頼らねばならない不便さがあるのに比べて、山越えで道が少々悪くても近道のために利用者が多かった。」と芳賀善次郎氏は自身の『鎌倉街道探索の旅 下道編』に書いておられます。

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白山道と東光寺
「東光寺(または東光院)とは、普通は中世に郡境の交通要地へ、関所的使命をもって配置された村落の寺で、本尊は必ず薬師如来像か薬師堂があった。そして氏神の白山神社があるのが特色であるが、今では寺社のいずれかがなくなっているところもある。白山道もそれらの条件が備わっているから、やはり関所的使命をもった土地だったかもしれない。」芳賀善次郎氏『鎌倉街道探索の旅 下道編』

藤原良章氏は『中世のみちを探る』で「もしかしたら東光寺という名前の寺院の存在は、中世にさかのぼる道を示す手がかり、メルクマールになる可能性が大きいのではないか。」と書かれています。秦野市にある東光寺で、道筋自体が薬師堂の参道の機能も果たしていて、道から間正面に入ることができ、薬師堂の前で道がお堂を迂回している例をあげ、道とお堂が一体で形成された結果であろうと語られています。

話が金沢道から白山道へ逸れてしまいました。もとに戻りましょう。


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