原点回帰 歌に始まる

「歌」についてのお話です。

歌といえば現代では一般には音楽で、リズムとメロディーに合わせて歌詞を歌うことと考える人が多いのではないでしょうか。この場合の歌は「音」であり、音の心地良さで人は気分が良くなったりするものです。

日本には古来から「和歌」があり現代に伝えられています。和歌は音というよりも「言葉」が主体で使用され、人の心に映る様々な事や物などの表現として扱われます。現代的音楽でいえば歌詞の部分が中心となっているものと考えると分かりやすいのではないでしょうか。

ここでは歌や音楽について論ずるわけではないので、日本(語)の歌の原点とも捉えることができる『古今和歌集』の仮名序の没頭部分を紹介します。


やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繋きものなれば、心に思うことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出だせるなり。花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聴けば、行きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思わせ、男女の中をもやはらげ、猛きもののふの心をも慰むるは歌なり。

新潮日本古典集成の古今和歌集から引用

 

平安時代の勅撰和歌集で知られる『古今和歌集』の仮名序は紀貫之という人が書いていて、この部分は「歌」の本質ともいえる内容が捉えられています。解説によると、「和歌が人間の心を核にして発現するという、人間主義の宣言である。歌は他の何物にも従属するものではなく、また何かの手段でもなく、人間の純粋な行為だ、という意味である。」とあります。

平安時代から現在に至る人の心の表現としての歌(和歌であろうと流行歌であろうと)は、この古今和歌集仮名序以来全く変わっていないように思えます。
歌(現代では音楽等)は天地(世の中の全て)を動かし、精霊(あなたを惑わす怖い神様や反対にあなたを助けてくれる優しい神様など)をも感動させ、男女の仲をやわらげ、勇ましく強い人(権力者やスポーツ選手など、昔は武人など)の心をも慰めるのは歌であり、すべてのことの葉(人の心の種に対して)となっているということを言っているものと解釈できます。

今から千年ほど前に紀貫之が仮名で綴った歌の心にあたる言葉は、千年経った今も光輝いています。これは恐ろしいことです。言霊のみになせる業です。

何かと行き詰まりを感じる現代社会、何か大切なものを見失っているようにも感じられます。世の中が物質的にめぐまれ、生活がどんなに便利になっても、歌の心を忘れていれば、人は幸福とか喜びは得られないように思えます。古今和歌集の仮名序の精神を忘れないようにしたいものです。

今に伝わる京の風景・風情

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