東松山市の鎌倉街道跡碑

古道 鎌倉街道 鎌倉街道点描

東松山市の東武東上線高坂駅から西の岩殿と田木の境に「鎌倉街道の碑」が立っています。
この碑はあまり知られていないようですので少し触れておきたいと思います。

近年、高坂駅周辺は土地区画整理などで景観が以前と大きく変わっています。駅の東側には日光脇往還(千人同心街道)が南北に通り、古代から近世までの遺跡・史跡が沢山ありましたが、整備事業にともなう発掘調査などが多く行われています。畑の中の古墳が壊され宅地へと変わってゆく姿は残念であります。

鎌倉街道跡碑-01

高坂駅の西に関越自動車道が南北に通っていて、更にその西に鎌倉街道の碑があります。碑に書かれている文は下記のとおりです。


史跡 鎌倉街道跡

この街道は鎌倉より武蔵国の中央を南北に走り入間川を渡り上戸、広谷、石井、吉田、田木を通り、青鳥、村岡、熊谷、妻沼を経て上野国新田方面に至る古道で通称鎌倉街道と言う。応永年間別府入道代内村勝久到着状にもあり承元四年小代八郎行平譲状には「吉田村の四至として西にだいどう古道北はたむきの境をかぎる」と記されて古道と集落の存在を示している。文治三年奥州平泉に源義経の後を追いし熊野の豪族鈴木三朗重家は洪水のため閻魔堂に一夜の宿を求め今に鈴留川の地名を残せり、閻魔堂とは北の台地にてこの付近は山門跡なりと言い伝う、中世文書に館跡寺院跡とうの所在を窺わせ大道と言う名称を用いられていたが近世五街道制の整備と共に消滅し伝承を残すのみである。今や急激なる都市化が進みその姿を失うに至ったのでここに同志相計り、碑を建設し後世に伝えるものである。

昭和五十九年四月十日


 

鎌倉街道跡碑-02

 

2011年2月に「坂戸市に残る鎌倉街道伝承」というページを作成していました。この年の3月に東日本大震災が起こり、ホームページ作者も体調を崩し2週間ほど入院生活を送ることになりました。以後ホームページの新たな掲載は行っていません。今「坂戸市に残る鎌倉街道伝承」を読み返してみると、上記の碑に書かれている内容の一部がそこに記述されていておどろきました。我ながらよく調べたものだと感心しています。

高坂駅の西を通る鎌倉街道の道筋については具体的に判らず地図に記載できませんでしたが、少しずつでも調べられればと思っています。

「坂戸市に残る鎌倉街道伝承」
http://michis27.main.jp/sakado-KD-folder/sakado-KD1.html

 


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