福井県で古代北陸道の遺構を発見

 

3月4日の福井新聞に「平安時代の北陸道の遺構を発見 福井県内で初、道幅12m以上」という記事が掲載されました。

福井県福井市今市町の今市遺跡で福井市文化財保護センターの発掘により、古代官道のひとつである北陸道の遺構が発見されたということです。

以下記事内容から引用

福井県内で北陸道の遺構が確認されたのは初めてで、道幅は12m以上、当時の道としては最大級。砂利を敷くなど大規模な土木工事をしていたことがうかがえる。

昨年5月から8月にかけ、県道清水・麻生津線の道路改良事業に伴う調査で発見された。今市遺跡は県立音楽堂から西側の今市集落にかけて広がり、調査地は今市集落の一角で、古代の朝六ツ川「浅水(あそうづ)川」の自然堤防上にあたり、東に向かって緩やかに下る場所。これまでに弥生時代から古代にかけての集落跡などが見つかっている。

調査では道路と溝、掘立柱建物3棟、柵1条の跡が確認された。発掘された道路は現在の市道に沿って南北方向に約5m延び、土を盛り上げ、東はくぼんだ溝になっていた。側溝は排水用と考えられ、道路を固めるため敷かれた砂利が道から落ちて堆積していた。西側は未調査で広がりや造りは不明。

道路の近くに土器をまとめて廃棄した場所があり、平安時代の須恵器や土師器片が1000点以上出土した。中には墨書土器や、土器の蓋を硯として再利用した転用硯(てんようけん)もあり、道路の敷設をきっかけに集落が築かれ、知識人もいたらしい。

掘立柱建物の1棟は道路の幅が狭まった後、道路の外側に建ったとみられる。別の建物は周囲に柵を巡らし、その柱材も出土した。

見つかった道路は平野部にあり、近世の北国街道に沿った直線ルート上。律令期の「延喜式」によると、越前には南の松原駅から北の三尾駅まで八つの駅があり、今回の調査地の約1キロ南の同市浅水町に「朝津駅」があったと推定されている。

浅水町付近は古くからの交通の要衝として知られ、清少納言が『枕草子』で「橋はあさむつの橋」と詠んだ故地があり、現在の「朝六つ橋」の袂には、あさむつの橋の碑や西行の歌と松尾芭蕉の句が掲げられた碑も建っています。また、今市町の北の福井市新田塚町は、鎌倉街道の寵児である新田義貞の終焉地とされてきた藤島の古戦場「燈明寺畷」があります。さらに今市遺跡の南南東、直線で約10キロの場所は戦国武将朝倉氏の拠点である越前一乗谷があります。

北陸道の特徴として古道研究家武部健一氏は、「この沿線は日本海の海岸に山が迫っているところが多いので、古代の駅路から近世街道、国道、高速道路と、すべての時代の道がほとんど似たようなルートをたどっている場所が多いことがある。こういう場所は比較的古代道の発掘事例が少ない。同じようなところを何代も使いつづけていれば、古いものはかえって残らないのである。海岸まで山が迫っていて、陸路が困難だったことは、必然的に水路あるいは海路による交通が盛んであったことも意味している。」と語られています。引用ー「完全踏査古代の道」

古代北陸道の遺構が発見された遺跡は、石川県津幡町の「加茂遺跡」、石川県金沢市観法寺町「観法寺遺跡」、石川県野々市市「三日市A遺跡」、そして石川県河北郡津幡町倶利伽羅と富山県小矢部市石坂との境に位置する倶利伽羅峠などがあります。


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