大曲ルート・・・1
足柄峠西坂地図 

石尊佛・石尊松
足柄峠から北の尾根上を通る舗装道路(金太郎冨士見ライン)が、「誓いの丘」の先で大きくカーブの連続する箇所があり、その途中に「石尊佛・石尊松」というものがあります。左の写真はその「石尊佛・石尊松」で、またこの地は石尊松と呼ばれています。ご覧のとおりにここからの富士山の眺めは最高です。ここは足柄峠から北に向かって延びる尾根上ですが、この付近から西に分岐して下る支脈の尾根の上部にも位置しています。

石尊佛・石尊松について、上の写真に見られる説明版には次のように記されています。
「足柄山のこの街道も昔、富士講の人達の富士山まいり、大山講の人達の大山まいりの人々等で賑わっていました。道中の無事を祈り大山講の人達により、富士に向かって大山権現の石仏を建立し傍らに記念の松を植えて旅の一服のところとした。」
その後に松は大木となり石尊松と呼ばれていたそうですが、大正の始めに枯れてしまい、石尊佛も大正12年の大震災により不明となってしまったそうです。

現在ある石尊佛と石尊松は地元の人達により再建された地蔵尊と夫婦松です。

上の写真と左の写真は石尊佛・石尊松のある付近から舗装道路脇の尾根上を藪こぎして下り、古道跡が確認できる場所へ出たところを撮影したものです。舗装道路からこの付近までは踏み跡さえありません。ホームページ作者は以前に麓の竹之下から廃道を伝って石尊松まで上ったことがあるので、藪こぎでもここまでこれましたが、一般の方は真似はなされないようお願いします。

石尊松から竹之下へ向かう尾根上の古道ルートは「大曲ルート」と呼ばれています。かっては人の往来も多かったこのルートも現在では完全な廃道です。山仕事をしている人以外には、この尾根道を通るような人はいないものと思われます。(私は例外です) ですから道に迷ったり、谷に落ちたり、熊に遭遇したりと大変に危険が多く、ここを歩かれることはお勧めできません。どうしても歩かれてみたいという方は自己責任でお願いします。

廃道になってしまった大曲ルートの尾根道を歩いていて気がつくことは、人工的に成形された地形がいたるところに見られることです。特に平場が多く見られ何のために造られた平場なのか、またこれらの平場は時代的にいつ頃に造られたものなのか等、大変気にかかるものです。左の写真では廃道の右側一段低いところに平場が形成されているのが確認できます。

右の写真は井戸に似た穴で、内壁が石積されていて直径は1メートルほどのものです。穴の深さは50センチぐらいですが実際はもっと深かったものなのかも知れません。実は足柄峠の古道を探索していると、これと同じ穴をよく見かけるのです。もちろん大曲ルート以外のところでも見られ、峠の東側の定山の尾根にもありました。穴の大きさも様々で、直径が2メートルちかくあるものも見られ、また円形ではなく方形のものもありました。

この不思議な穴はいったい何なのか、地元の方に聞いてみましたが意外にも知らないと言われてしまいました。穴の造りからしてそんなに古いものとは思われません。この大曲ルートに人が入らなくなったのは、そう遠い昔のことではないように思われます。多くの平場や不思議な穴などが見られることから、以前は人通りも多かったものと考えられます。

おそらくは古道とは関係ないと思われる不思議な穴ですがこれはいったい何なのか。井戸のようでもあり、井戸でないようでもあり、いろいろ尋ねてみたところ、やっとわかったことは、どうやらこの穴は、雨水を溜めて置くために造られたものらしいのです。そして更に、この大曲ルートの尾根上には、以前は多くの畑があったということを聞くことができました。確かにその井戸に似た穴は尾根上のルートにしか見られないようです。水の豊富は沢沿いのルートでこの穴を見た記憶がありませんでした。

大曲ルートの堀割道

そうすると廃道沿いに多く見られる平場は、畑の跡ではなかったかと思われるのです。

上の写真と右の写真は大曲ルート上に見られる堀割道です。写真の堀割道は幅は2メートルぐらいだと思います。堀割道は周辺の地形から判断して、中世以前まで遡れるほど古いものではないと思われます。

この尾根道が大曲ルートと呼ばれるのは、麓の竹之下から足柄峠を見たときに、手前で大きくカーブする支脈の尾根が立ちはだかり、その尾根の稜線を「大曲り」と呼ぶそうです。そしてその稜線上の古道であるが故に「大曲ルート」となったのだと思います。大曲ルートは竹之下の法教寺旧地付近から尾根に上り、「石尊松」「古足柄」「通り尾」などの地名が残る尾根上を通り、足柄峠へ向かう道であったものと思われます。

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