金太郎冨士見ラインに沿って・・・1
足柄峠西坂地図 

左の写真は足柄峠の北側に続く尾根の古道探索で見つけた廃道です。写真は「古足柄」と呼ばれている付近のものです。現在尾根上には金太郎富士見ラインという舗装道路が通っていて、車でも麓から足柄峠へ上ることができます。写真の廃道は金太郎冨士見ラインの舗装道路ができる以前の峠への道だったのかは確かめられませんでしたが、尾根上の所々に、このような廃道が見られるのでした。

地表観察からこの廃道は古代や中世まで遡れる古い道跡とは思われません。廃道幅は2メートル前後で斜面が急なところでは屈曲が多く見られます。「古足柄」という地名について、地元でもその名前の由来を知る人は現在ではいないようです。この地名の足柄の前に付く「こ」を、どのように解釈するかにより、いろいろな意味が考えられます。「古」ならば現在の足柄より昔の足柄とも取れますが、地名ではその場合「元」を使用することが多いようです。

「小」ならば小さいで、その場合どのように解釈をすればよいのか、地名学に乏しいホームページ作者には難しく思われます。「此」とする説もあるようですが、その場合は近く・手前を意味するそうで足柄峠の手前となり、何となく納得がいきそうです。足柄峠から古足柄までの尾根上を「通り尾」と呼んでいて、これらの尾根上の地名は古道の存在を暗示するかのようです。地表観察では、上や左の写真のような、舗装道路に寸断された小さな堀割道跡が所々に残っているのでした。

誓いの鐘・新田次郎文学碑
右の写真は金太郎富士見ラインの道路沿いにある「誓いの鐘」です。「誓いの鐘を大きく鳴らし、富士山に向かってあなたの願いや誓いを宣言して下さい。」とありました。この展望台は誓いの丘ともいい、傍らには新田次郎文学碑も建てられています。新田次郎氏は昭和31年に『強力伝』で直木賞作家となり、山岳・歴史作家として知られています。ホームページ作者も新田次郎氏の作品を多く読ませて頂きました。

新田次郎文学碑の説明版には、小山町にかかわる作品は『強力伝』『怒る富士』『新田義貞』等があり、これらの執筆にあたり町内各地で取材されたことが記され、先生が富士山を通じた文筆活動で私たちの町はもとより富士東麓地域を全国に紹介してくれたことに深甚なる敬意と感謝を表し、富士山眺望日本一を誇るこの地に文学碑を建立したとあります。

恋をしている若者たちの 眼に映る富士山は バラ色に輝いて 見えるであろう

白い花が好きだ・富士の美

上の写真の誓いの丘の、道路を隔てた反対側の林の中に、右の写真の廃道が見られます。道幅2メートルぐらいの狭い堀割道跡です。この道跡も古代や中世まで遡るほど古いものには感じられません。この道跡を見ただけで足柄峠から北に延びる尾根上には古代足柄路が無かったとは判断できるものではありませんが、尾根上の古道というものはホームページ作者が今まで見てきた例では比較的にかなり古い時代の道跡も残っていることが多いのです。

ましてはこの足柄峠は古代から中世までの東海道主要幹線路が越えたところですから、断片的にでもその道跡の地形が残っていても良いはずなのです。尾根道は谷道と違って自然災害を受けにくいのです。過去に台風などで山の一部が崩れてしまっていても、峠から麓までの長い区間には開発を受けない限り、必ずどこかに古道の痕跡があるものと信じています。たとえ千年経っていたとしても。

これまでホームページで紹介してきた上信国境の碓氷峠の古道や箱根西坂の平安・鎌倉古道、そして多摩丘陵の一部などには大きな古道跡が残っていました。それらの道跡が時代的にどのくらい古いものなのかは素人の私にはわかりませんが、何れも主要幹線路が通っていたと推定される尾根上にあたるところでありました。ですからここ足柄峠でも同じような道跡がフィールドワークで見つけられる可能性があるのです。

しかし、金太郎富士見ラインに沿って残る道跡はやはり私には碓氷峠や三島市の平安・鎌倉古道とは同種の道跡とは考えにくいのです。とにかく古さが感じられません。

左の写真は金太郎富士見ラインが誓いの丘を過ぎたところから大きく幾度かカーブする付近の道路脇で、その林中に見られる堀割道跡です。両側の堀割壁は山壁のように深く、谷底に下りて行くようなところです。

深い堀割道跡を下ったところには幾分広い空間がありました。この広い空間の中をそのまま道跡なりの方向に進むとやがて舗装道路に合流しました。合流したところから舗装道路を左(西側)へ行けば石尊松があります。合流したところから舗装道路を少し下ると右(東側)から接続してくる別の舗装道路(大沢林道)があります。接続してきた舗装道路の行き先は、道標によると「遊女の滝」2km・「駿河小山駅」5.2kmとありました。そしてこの接続してきた舗装道路は、足柄峠の通り尾砦跡付近へ上っていた大沢伝いの廃道とも一部が重なるようなのです。

大沢伝いの廃道は大正時代以前の地形図には足柄峠付近を越える一番太い道として描かれています。その道は明治期に陸軍工兵隊が敷設した道でもあったようで、以前は車も通っていたといいます。大沢伝いの道が古道を踏襲した道なのかはわかりませんが、足柄峠の稜線には「通り尾砦」や「こなら尾砦」などがあり、西側の大沢を監視していたとも思われ、或いはその時代から沢伝いの道があったのかも知れません。
左の写真は上の写真と同じ付近を別角度から撮影したものです。この付近は大井平という地名の辺りだと思われますが確認はできませんでした。

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