地蔵堂川林道に沿って
足柄峠西坂地図 

麓の向方から地蔵堂川沿いを遡る林道があります。戦ヶ入(せんがいり)林道、又は戦返(せんがえり)林道と呼ばれていて足柄古道ルートの一つになっています。右の写真は地蔵堂川の神田橋を渡り、右手に折れて川沿いに峠を目指す戦ヶ入林道の入口付近です。このルートは終始沢伝いのコースを行くということで古い足柄峠への道と考えるには難点があもますが、ルート上には竹之下合戦に因む史跡や縄文時代の遺跡も発見されていて歴史の息吹が感じられるところなのです。

ここでは地蔵堂川沿いを行く戦ヶ入林道の神田橋から伊勢宇橋までをご案内します。

戦ヶ入林道に入って直に大曲ルートへの上り口の神社が左手に見られます。その先で一度川を渡り新しく建てられた竹之下宮奥宮の前へ出ます。更に先へ進むと、再び橋を渡り地蔵堂川の右岸に出ます。そこから直路ヶ尾ルートの伊勢宇橋までは林道は川の右岸を進みます。戦ヶ入林道は左の写真のように右手は川で、左手は急な山が迫っています。このような谷道は自然災害の影響を受けやすく、いつも同じ状態に道を維持するのは大変な作業なのです。

馬蹄石
戦ヶ入林道を麓から上がってきて最初に見られる史跡が「馬蹄石」と呼ばれるところです。建久4年(1193)5月に源頼朝は富士の裾野で巻狩りを行いました。その道中、足柄山を越えて竹之下を通るときに頼朝は駒を止めたと伝えられています。現在川底に近い大石に馬の蹄の痕跡が三つ残っていて里人達はそれを頼朝の馬の馬蹄石と名付けたといいます。

戦ヶ入り
建武2年(1335)12月、竹之下に陣を敷く尊良親王をはじめ、二条為冬、脇屋義助らの後醍醐天皇側の軍と、足柄峠に陣する足利尊氏の軍は、この場所で最初に激突したと伝えられています。そのことからここを戦ヶ入りと呼ぶようになったといいます。『太平記』などに記される「竹之下合戦」は後醍醐天皇側の佐々木道誉と大友貞載の裏切りにより足利軍の勝利に終わり、以後南北朝の動乱へと進んでいくのでした。

馬蹄石
頼光対面の滝(不動の滝)
岩に彫られた不動像

頼光対面の滝
戦ヶ入の説明版の先には「頼光対面の滝」の標柱と金太郎ゆかりの地の説明版があります。この滝の場所で源頼光と坂田公時(金太郎)が初対面したというものです。金太郎は頼光の家来の一人になり、渡辺綱、碓井貞光、卜部季武、坂田公時の四人を頼光の四天王と呼んでいます。源頼光は京で藤原道長の側近として使えた武将でした。大江山の鬼という酒呑童子討伐や土蜘蛛などの魔物退治の伝説で知られています。頼光対面の滝は不動の滝とも呼ばれていて、滝脇の小屋の裏岩には不動像が彫られています。

地蔵堂川の銚子ヶ渕

銚子ヶ渕
上の写真は地蔵堂川の戦ヶ入林道の途中にある「銚子ヶ渕」と呼ばれるところです。ここは地蔵堂川が滝状になって流れていて、底は滝壺になっています。自然の渓谷の美しさと豪快さが伝わってきます。銚子ヶ渕と呼ばれる由縁には、銚子を抱いてこの渕に身を投げてしまった花嫁の伝説が伝わっているのです。里人達は花嫁の履いた草履が水面に浮かぶので地蔵像を立てて、この場所を銚子ヶ渕と名付け花嫁の霊を慰めたそうです。この地蔵像に祈ると良縁が得られると伝えますが、今は地蔵像はどこかへ行ってしまったようなのです。

銚子ヶ渕のしばらく先の山側に「古滝」の説明版が立っています。修験者達が修行をしたところであったといいます。地蔵堂川沿いは滝や湧水が豊富で古くから修験者の修行の場とされてきたようです。それならば、この地蔵堂川に沿った林道は古くから人の往来があって古道がここを通っていたと考えたくもなるのです。

しばらく進むとやがて地蔵堂川の川岸が広く開けた場所に出ます。そこには「クラモンザ湧水花園」と書かれた説明版が立っています。ここは「湧水が豊富で枯れることもなく人命を育ててきました。」とあり、「この度東海道400年祭を記念して往時の旅人達を偲びこの湧水地帯に花園として整備をはじまました。」と書かれています。狭い地蔵堂川の渓谷地帯でここだけ解放されたような明るさがあり、確かに湧水が多く見られるところです。

地蔵堂川の川岸が開けたところを過ぎると林道はふたたび林の中の道になります。この地蔵堂川沿いには縄文初期(約五千年前)の遺跡や平安時代の土師器片も出土しているそうで、また虎御石ルートが合流する付近には須恵器を焼いた窯跡なども発見されているといいますが、その詳しい位置はわかりませんでした。

左の写真は虎御石ルートと合流した戦ヶ入林道を伊勢宇橋方面にしばらく進んだ付近です。ここまで地蔵堂川沿いを歩いてきて、このルート沿いには史跡や歴史伝承が多く残り、いかにも古道の存在を実感できる道筋であることがわかりました。しかし、古代の足柄路がこの沢伝いの道であったのかと考えると、先に触れたように川幅が狭い感があり、道の維持や管理が大変であったものと思われるのでした。

大正8年発行の2万5千分の1地形図を見ると、現在の竹之下宮奥宮付近の川沿いには道が描かれていないようです。現在もその付近は川幅が狭く、谷の両側は山が急傾斜で落ち込んでいます。地形的に道を確保するスペースをとるのが難しかったものと思われます。また虎御石ルートから伊勢宇橋の間の川沿いの道も大正8年の地図には描かれていませんでした。

右の写真は地蔵堂川に沿った戦ヶ入林道が伊勢宇橋の前へ出たところを撮影したものです。

足柄峠の古道探索ー地蔵堂川林道に沿って
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